【SNSの怖さ】不謹慎ふきんしんって、そのボーダーって、どこ?


平成28年熊本地震により亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。前身の地震から本震、また現在もまだ続いている余震の被害に遭われている方に心よりお見舞い申し上げます。

小さい頃は地震のない国で育ったため、地震に対する意識はかなり低かった私。
しかし東日本大震災時に東京にいた私はその後に錯綜した情報に踊らされ、自然災害そして二次災害と言っても過言ではない人災について考えてきました。日本人がどう考えてどう思うのかを。

マスコミのヘリコプターの音がどうの、放送局のロケバスがガソリンをどうの、政府関係者の視察者が食糧や水をどうの、便乗して起こる犯罪が〜など、いろんな情報、そして議論が飛び交いますがそれらは'しかるべき人'に取り締まってもらってもらいたい。それらはここではいったん置いておきます。


掲題の内容に入りますが、こういう事件(事態)が起こると必ず出てくる「そんなの不謹慎だ」「自粛しろ」の声。

え、でもそれって、なんでなの。なんで被災していない場所でのスポーツの試合を延期しなくちゃいけないの、テレビでバラエティを放送しちゃいけないの、ライブを中止しなくちゃいけないの。
ゲームしちゃダメなの、YouTube見ちゃダメなの、お風呂はいっちゃダメなの、食べちゃダメなの、飲んじゃダメなの。

事の大小はあまり関係ないのです。


YouTuberがくだらない企画を流すのを叩いたり、アニメを見た感想を呟くのを不謹慎だと罵ったり、一体何がしたいんですか?日本列島の人、日本国籍の人、日本に関わった全ての人がみんな、黙祷し続ける社会がいいんですかね?

みんな、命を落とした人・被災した人をわざわざ苦しめようとしているわけじゃないじゃない。何言ってんの。


ある程度のマナーやモラルは持ち合わせているべきだし、大きくはみ出すものに対して何か言うのはいいかもしれない。しかし優しく。
グレーな部分については話し合えばいいのに、なんでいきなり鬼みたいな顔で(見えてないけど)襲ってくるのか。

こういった法律に載ってないような事柄ってボーダーがないので、人々のコミュニケーションによってなんとなーく形成されていくものだと思うんです。しかも時代によって考え方が変わる事もあるので常に話し合いが必要。
その土俵がTwitterだったりする。ならばその優しく諭す方法を学ぶ場所があるといいのになぁとふわっと考えました。
'しかるべき人'が、そこまでやってほしい。そう思います。



ついでに

Twitterは怖いところでもありますが、良い面もあります。

メールや電話の通信機能が落ちたり低くなったり、連絡手段というのが問題になってきていて、らいんあうとの無料化や熊本のWi-Fiの開放、様々な対策が進んでいますが、その中で私が便利だと感じたのはSNS(Twitter)です。

日本のこんな大きな災害では落ちない、バルスでは落ちたけど。


東日本大震災の際、職場の浜松町から当時住んでいた練馬駅まで電車なしに帰らざるをえない状況となりました。車は渋滞していたためタクシーの選択肢はナシ。途中のドンキで自転車を買おうとしたけど売り切れ。結果一緒に住んでいた人とひたすら歩きました。新宿くらいまで進んだころ、大江戸線が動き出すらしいというTwitterの呟きを見つけました。そして動き出した2本目くらいのに乗れたので、スムーズに家に着くことができました。どの電車がどれくらいに動くか、新しい情報を把握することで家族の状況も予想することができ、大変便利です。


ちょっとこれ、酔っ払って書いているので推敲してないし校正もしてないので書き直すと思います。
こんな時に酒を飲むなんて不謹慎ですか?そうですか。